2018年の暮れに入院して以来、同室だったみなさんとほぼ毎月、会っています。
継続して会いたいねーということで、住んでいるところもそれぞれ違うけど、
毎月ランチを企画して4人で楽しんでいました。
まさか病院で、こんなに続く関係が築けるなんて思っていませんでした。
途中、1人のガンの再発が発覚してからは、彼女が毎月入院するので、
それに合わせてお見舞いに行ったり、その帰りに食事をしたり、
とにかく理由をつけて集合していました。
去年の12月も、彼女の入院に合わせてみんなで集合する予定でしたが、
私だけ、仕事が忙しいタイミングで行けなくて。
毎月会えるから、今月は忙しいしまた来月参加しよう。
そう思ったことを一生後悔することになるとは、
その時は思わず・・・
今月に入って、彼女の病状がまさに坂を転がり落ちるように悪化しました。
それでも、自分は元気なんだけど病状だけが進んで行くよと言っていて。
遠方から札幌の病院まで通っている状態だったのですが、
家の近くの病院に入院することになるかもしれない、と。
はっきりわかったら連絡するねと、言っていて。
そんな話をして数日後の朝に、目が覚めてすぐに、彼女に連絡しなければと思ったんです。
どうしても今しなければーと思って、LINEしました。
既読にはなったけど、返信は来なくて。
翌日、彼女の娘さんから連絡がきて、亡くなったことを知らされました。
虫の知らせ?胸騒ぎ?を感じていたので、やっぱり・・・と思ったと同時に、
色々な後悔が浮かんで来てしまったのでした。
彼女にはお子さんが2人いて、
もし自分が死ぬとしても子どものことが心配で死に切れないとずっと言っていたんです。
娘さんのセンター試験が終わるまでは・・
卒業式が終わるまでは・・
ずっと言っていたのに。直前に亡くなってしまいました。
どんなに心残りだっただろうと思うと、胸が締め付けられます。
だけど。
私は今回の彼女の死で、実感したことがあり。
自分がいなくなっても、子どもは残るんだよなーと。
まさにそこが、彼女にとっては最大の心配事であり悲しみの原因でもあったわけなのですが。
自分が産まれて生きてきた最大の証って、子どもだったりするのかなーと、
そんなことを思ったのです。
何にも、残せないかもしれない私にとっては、それを成し遂げた彼女が羨ましくもあるのです。
私がこのまま子どもを授からず、養子縁組も選択せず、
生きて行って、私が死んだら何も残らない。
人生ってそういうものなのかもしれないけど、何か残したいなって気持ちがある事に気が付いたというか・・
これまで、何度も「本当に子どもが欲しいかな?」って考える機会がたくさんあって、
自分が子どもを求める理由は何だろう?
本能なのかな?
とか色々考えてきたんです。
まさに理由はたくさんあって、「これだ!」って答えがハッキリしたことはないし、
今も見つかっていませんが。
自分が生きた証が欲しい、ていう気持ちもある事を知ったのでした。
不妊治療は本当に苦しくて辛い。
治療自体が苦しいよりも、
自分の目的が果たされず、果たされるかもわからずいつ終わるかもわからないことが本当に苦しい。
以前、不妊治療のストレスとガン患者さんのストレス度合いは同じくらいであるとの研究?をみましたが・・・
同じくらいであったとしても、やっぱり死を目前にしたガン患者さんの方が、
不妊治療よりよほど辛いであろうと想像できました。
ずっと、もう口癖のように言っていた、
「とにかくセンター試験をまず目標に生きる、1日でも長く」
あまりにも早くて、突然のことでした。
まだ47歳。
娘さんは母を亡くして直後、今まさに気丈に試験を受けています。
絶対にそばにいて見守っていると思う。
どうか受かりますように。