検診で胎児死亡がわかった当日は、1日中泣いて過ごしました。

 

病院を出てすぐ夫に報告。
夫の落胆した声を聞くのもまた辛く。。

 

夫に、家族皆に今回の結果を報告してもらい。
とにかく今はそっとして欲しい事、病院には来なくて良い事、全てが終わるまでは誰にも会いたくない事を伝えてもらいました。

 

それでもやはり母は飛んできましたが、、

 

 

 

 

お腹の中で元気にクルクル動いていたのに、いつ止まってしまっていたんだろう??
大きさは12週相当で止まっているので、まさにつわりが一番酷かった時、、

 

胎盤にちゃんと血液が回らなかったんじゃないか、栄養が足りなかったんじゃないか、吐きすぎてお腹に余計な力が入ってしまったんじゃないか。
とどまる事なく考え続け。

 

 

陽性反応が出た日から、ずっと怖かった、こんな日が来る事が。
クリニックに行くたびに動いてないって言われたらどうしようと怯え、

小さいと言われたらネットで検索しまくり、出血の時には流産の事を調べつくし。

 

12週の壁という言葉がある事を知り、とにかく12週を超えてくれたら少し安心できるかなと思っていました。

 

 

 

つわり、早く終わって欲しいって、苦しくてもうやだって思ってしまったからこんな事になったのではとも思い、今となっては全て後のまつりなのですが。

 

本当に苦しいのに現実の事とも思えず、1晩寝て朝、全部夢だったかと思うけどすぐ現実に引き戻され、また1から悲しむと言う、途方も無い繰り返し。

 

 

 

 

入院前日には、ラミナリアが怖くて、、
出産より痛かったと言っている人もいて、どれほどの痛みなのかと。
怖すぎて検索は途中で辞めました。

 

 

入院の準備をするのも切なく、我が子の棺を鞄に入れた時にはただただ空しく。

 

棺の中に入れるものは、なかなか思い浮かばず。
ハンカチで身体を包んであげたくて2枚用意して、後はお花を入れよう、

お花はいつ用意すればいいのだろう、切り花だから枯れてしまわないように直前に入れたい、、
性別はまだわかっていなかったので、男の子でも女の子でも、どちらでも嬉しいねと夫とは話してましたが、

 

なんとなく、この子は女の子だった気がしていて。
夫に話したら、夫も同じように感じていたようです。

 

 

 

悲しみの中にも、これから自分の産む子と対面できると言う、なんだろう?喜びとは違うと思うのですが不思議な興奮がありました。

 

 

そんな、入院前の3日間でした。

 

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